「内田弘慈氏とカンボジアだるま愛育園を支援する北海道の会」
募金振込先
口座番号 02720−4−93286
講座名義 カンボジアだるま愛育園を支援する会
事務所 札幌市東区北24条東1−1−35 北海ビル「保険プラザ24内」
電 話 011−742−1124
FAX 011−742−1099
高尚なボランティア精神など持ち合わせてはいないオジサンたち5人が、それぞれの思いは違っても
カンボジアの子供たちになにかをしたいと揃って内田さんのもとへ行ってきました。
終戦後の時代を僅かに体験している5人には、かの地の子供と何か共有できるものを感じ取れたと思っています。
久しぶりにすがすがしい気分で帰ってくることができました。内田さん、子供たち本当に有難うございました。
内田さん、お体を大切にいつまでもお元気にご活躍されるようお祈りいたします。
私の支援は、できる範囲(??)で今後も続けたいと思っています。
それから最後に、仲間のみなさん、特に吉田さん、いろいろとご面倒をおかけしました。
今後とも宜しくお願いいたします。
左は、成田までの途中、日の出の中を飛行中。成田に到着しました(中)。羽田から新千歳までの機内で(右)。
シェムリアップ登場直前にまたパチリ。中はバンコクの乗り換え待合室の様子。右は成田までの航空券。
シェムリアップからタイ・バンコクまでバンコク・エアーウェイズで。
右写真は、乗った飛行機がコクピットの直ぐ後に貨物室のある珍しい構造の飛行機。ついパチリ。
空港に到着してトラックから飛び降りる元気な子供たち(左)、そして最後の撮影(中)
右は、空港利用税(25US$)
園を去る前に記念撮影(左)、空港まで見送ってくれる園児はトラックの荷台へ(中)、園に残る園児が見送ります(右)。
札幌を出るときに託された支援金をソリカーさんへ手渡す左から鴈原さん、伊藤さん、北島。
伊藤さんは、会社や行きつけの居酒屋さんと大勢のお客さんの善意を運んできました。
いよいよ帰りの飛行機の時間が迫ってきました。子供たちに飴玉を配る伊藤さん、中川さん(左)
前の凸凹道でバトミントンに興ずる鴈原さん。
現地の売店の商品の一部。右下が昆虫の佃煮?
下は、人造湖から下流への水
乾季の貴重な水源です
コンクリートスラブを支える小枝のような木が面白い。
また、スラブ上の柱の枠が細く珍しい。
この井戸は、旭川の「商工中金ユース会」が支援した井戸です。
この井戸も清潔に使われており立派に役目を果たしていました。
この井戸は、吉田さんの北海グループが支援した2号井戸。
到着するとたちまち子度たちが
近づいてきます。
吉田さん、嬉しそうです。
さて、この後、われわれは、既設の井戸の状態を視察することとなりました。
アライン村のシェムリップ川沿いに造られた井戸。「内田弘慈氏とカンボジアだるま愛育園を支援する北海道の会」からの
支援第1号の井戸です。47mまでボーリングしました。(写真右)
ポンプ本体の右側に青い管のエルボーが見えます。これは将来、電気ポンプをつなぐためのものです。
使い始めには、特に立派なセレモニーはありません。自然と近所の子供たちが集まってきてにぎやかな会になります。
新しい井戸の付近の光景や子供たちの様子から、この付近の生活を想像してください。
井戸は、確実にこの周辺の生活や健康を変える力になると思います。
われわれもカンボジア最後の日、寄贈した井戸の使い始めの行事に出発です。
食事が終わったころ、午後の部の高学年の園児が登校の準備です。
手を合わせ「行ってきます」は清々しく気持ちが良い。
下の写真は、園のスタッフが用意してくれた昼食の「ざるそば」と「沢庵」「スペアリブ」と「フルーツとデザートのチマキ」
園に行くと、子供たちが前の道路でお土産のフリスピーで遊んでいました。
この道路には10cm位の大きさの砕石が敷いてあります。
舗装前に路盤を補強するためのものでローラーはかけていません。
一般の車や人間の重みで埋まってゆくまで待つそうです。
それにしても、このとがった石の上ではだしで飛び回るとは、なんともたくましい。
さて、この日、ソリカーさんは結婚式に出席するためおめかしをしていました。
行ってらっしゃい。
お昼になりました。だるま愛育園で「ざるそば」をご馳走になりました
左は、枯れ枝と見間違う
先のとがった針金でできた武器。
これが右のような枯葉の中にあると
直ぐにはわからない。
この程度のものでも兵士は
恐怖で戦意を失ってくるそうです。
早くこれらの忌まわしい武器が撤去され
平和で安全なカンボジアが訪れるよう
願ってやみません。
左は、地雷の爆発の原理を説明しているところ。単純な構造なため非常に安く製作できてしまいます。
中は、博物館のスタッフ、地雷で片手が途中から失われていました。
右は、内戦の様子を描いた絵。
無造作に庭の中にある金網で作られた筒に納められている処理済の地雷(左)
中は、対戦車用の大型地雷、右はその廃材を利用した入口ステップの踏み台、足を乗せるのに躊躇する
左は、博物館入口
右写真、青いTシャツがアキラ。
内戦の傷跡が今なお深いカンボジアで、地雷を個人で発掘処理している青年がいます。
その名はアキラ。日本のテレビで紹介されたことがあるといいます。
彼は、戦争の悲惨さを伝えるため地雷やゲリラ活動に使用された武器を展示する博物館
「アキラの博物館」を運営しています。
彼は、この活動以前には内田さんの「だるま愛育園」のスタッフでした。
だるまスクールの標識とここのお寺の僧侶たち
この人骨は、この近くで気の狂ったポルポト独裁政権に殺された罪なき人々のものであること。4年間に殺された10万人の亡き人々の安らぎのための仏舎利が寄付で購われたとする感謝文
当時の様子を説明する内田さん
(左から二人目)
虐殺された人々の頭蓋骨を納めている塔
突然の人間の頭蓋骨の山におどかれたと思います。
小学校で平和で未来に富んだ子供たちに囲まれた後、
訪問したのはポルポトの忌まわしい大量虐殺の現場「キリングフィールド」です。
ここで、内田さんは人骨を堀り集めたり「だるま」小学校を開きました。治安が悪かったことと孤児院の規模が大きくなったため
今の「だるま愛育園」に移りましたが、ここが内田さんの最初の活動の場だったのです。
休み時間の子供たち。ビデオを持っていった鴈原さん(上の写真)は子供たちの人気者。
写した映像をその場で見せて(上段中)大いに受けていました。
リュックの名札を引っ張られたり一度にたくさんの孫ができたみたい。
下の写真は、目が輝いている子供たちの元気な様子です。幸せな未来を祈りたくなります。
下段中央の写真は内田さんが35mmフィルムで撮ってくださった写真です。
街の中の市場と見間違うこの光景。ここは小学校の敷地の中です。
もちろん商売の相手は小学生なのです。
カンボジアでは、休憩時間に子供たちがお菓子などを買い求めて食べる習慣が根付いているようです。
通学できる子供たちが経済的に恵まれている階層に偏っていたためかもしれません。(想像です)
だるま愛育園の子供たちにも小遣いを与えたいと思うのは、こうした環境で時々みんなと一緒に買い物の
楽しさを味わってもらいたいと思うからなのです。これで昨日のお小遣いの意味が解かっていただけたでしょうか。
贈呈式の後、1年生のクラスを訪問しました。左写真の前の机左側の男の子は、内田さんの長男ソム・ソリア君。
教室を出るときには、礼儀よく手を合わせての見送りの挨拶で送られました。
贈呈式の様子。中央写真は校長先生から感謝状を渡される「だるま愛育園を支援する北海道の会」幹事吉田さん。
この日、我々は、「だるま愛育園を支援する北海道の会」が募金で得た学用品を学校に贈呈しました。
写真左は学校がセットしてくれた贈呈式会場、中は挨拶するプンクンチェン校長先生。
右は、会談の様子。通訳は園長のソリカーさん(後姿左端)が引き受けてくれました。
1月16日、我々は「だるま愛育園」の園児が通うワット・ボー小学校を訪れました。
お寺に付属したこの小学校は、広い中庭に面して2階建ての校舎が「コ」の字形に配置され、
更に平屋の高学年用の校舎が別棟であり、40学級以上ありそうな大型校舎です。
授業は午前6:30'〜11:30'と午後12:30'〜17:00'の2部制、生徒数4,000人、先生100人と大人数です。
右の写真の中央に青いポンプが見えます。これは神奈川県清水小学校が寄贈したもので
構内にはそのほかにも静岡ソロプチミニストの支援で寄贈されたポンプがあります。
別れの夜
西バライ
リゾート地、カンボジア最大の人造湖西バライのひと時です。
おじさんたちは、少し疲れてきました
建築ラッシュ
シェムリアップは今、建築ラッシュです。華僑やベトナム資本が大小のホテルを建築中です。
これも、平和が訪れたためでしょうが行過ぎた建築ラッシュで国民に負担がかからなければと願います。
壊れた井戸
残念ながら壊れたまま放置された
井戸がありました。
井戸を寄贈しても維持管理が行き届かない場合が多くあります。
内田さんは、井戸の掘削から
メンテナンスまで、支援活動には
トータルシステムの構築が
不可欠だと強調されます。
旭川商工中金ユース
アラインシャーコ小学校
アライン村
アキラの博物館
キリングフィールド
ワット・ポー小学校
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1月16日
ワット・ボー小学校、キリングフィールド
アキラの家、井戸、西バライ、帰路
その6
最終回
中年男のカンボジア孤児院と
井戸掘り支援ツアー