内田弘慈氏とカンボジアだるま愛育園を支援する北海道の会
3年ぶりです。
中年男のカンボジアだるま愛育園と井戸掘り支援ツアー
平成19年2月18日〜2月23日

<その2>
2月21日
 3年前と同じように今回もアンコールワットのサンライズ鑑賞に挑戦しました。残念ながら今回も前回同様、東の空には薄く雲がかかり鮮やかな日の出の鑑賞とはいきませんでした。それでも、朝日の中にぼんやり浮かぶアンコールワットの3個の塔には荘厳、神秘、神聖などの言葉がぴったり合う何かを感じ取ることができました。
さー。今日は、これからホテルで朝食をとって、だるま愛育園の園長ソニカさんの故郷とその小学校を訪問です。

クロバイリエル小学校へ
 シェムリアップから国道6号線を東へ約60数キロ、チクレン川の近くで北に曲がると程なく目的の小学校クロバイリエル小学校があります。クロバイリエルとは水牛の意味で園長のソニカさんが通学した小学校です。国道6号線は、このまま東へ抜けるとカンボジアの首都プノンペンへとつながっています。道程約300km。3年前には未舗装で、車で24時間かかっていたそうです。現在は全部舗装され5〜6時間ほどで行くことができます。20時間以上かかっていた時間が4分の1に短縮されるということは革命的な変化といってよいでしょう。
とても便利になりました。しかし、車は多くなり排ガスが環境負荷を高めています。でも・・・、こんなことを物質文明を最大限謳歌している我々に言う資格はありません。あるとしたら環境へ与える負荷を下げる技術移転やそのための資金援助、またそのための教育でしょう。いずれにしても地球規模で進めなければならない飢餓の克服が進めば進むほど、この問題は何所にも起こる普遍的な課題だと痛感しました。


スピードを上げて我々を次々と追い越す車

道路の両脇には濃い緑の樹木が覆って美しい

オートバイが多く同乗者は排ガスを和らげるためマスクを

プノンペン行きバス
3.5$、お祭中は5$

道路の傍らには水牛がのんびり草を食んでいる

要所要所にドライブインならぬマーケットがある

その中で見つけた竹の筒を利用した保存食「クチャ」

「クチャ」は、もち米と小豆のような黒豆をココナッツミルクに浸し塩を添加します。それを竹筒に入れ米藁で蓋をして火の周りに立て焼きます。中でご飯がほど良く炊け赤飯のような味と食感になります。すべて地元で調達できる材料で出来る「クチャ」は、環境負荷ゼロのサスティナブル食品です。
ここで数本購入、昼食時の様子は後で報告。
トラックの荷台も人を運ぶ立派なツール、だるま愛育園の子供達はトラックで移動。途中から佐藤さん佐々木さんの奥さんも同乗。荷台は小学校まで大いに盛り上がっていました。 途中見かけた車。屋根の上にまで人が乗っている。

 ようやくクロバイリエル小学校へ到着です。校門には吉田さんを称えたプレートが掲げられていました。校庭の木陰には全校生徒と6人の先生が出迎えに待っていてくださいました。黒い瞳が光り輝く元気で明るい子供たちでした。この小学校へは、「内田弘慈氏とカンボジアだるま愛育園を支援する北海道の会」が用意した学用品を贈呈するためにやってきました。
校門 吉田さんとプレート
「ようしだきんご」さん
出迎えの子供達 贈呈式準備中の一休み
大急ぎでプレゼントを仕分けします。通訳のトムさんも積極的でした。 優しい顔の瀬川さんが笑顔でノートを配っています

優しくない顔の黒川さんも笑顔でプレゼンターを勤めます

宮崎さんも笑顔です

斉藤さんは観音様のような優しさで子供に接しています

いかつい顔の宮本さんだってこの時ばかりは聖人です

菅さんは何度も訪れたことのある我々のリーダーです

子供の兄貴のような佐々木さん
野沢さんから学校へ
外山さんからも学校へ
受け取るのは校長先生
佐々木さん夫婦からはサッカーボールが 先生へも、吉田さんから 皆さんのお見送りを受けてソニカさんの親戚宅へ出発

ソニカ園長の生まれ故郷へ
 小学校訪問の後、我々はソニカ園長のご親戚が住む生まれ故郷コックロックルー村に向かいました。途中、12世紀に建てられたハノイまで続く道の途中にある世界遺産コンポンクダイ橋(王の橋)を見学。田畑沿いの、でこぼこ道をゆっくりと進んで、お昼頃ようやく目的地に到着しました。
この周辺は、乾季の水の確保が非常に困難で、温度と日照が十分にもかかわらず乾期の農業はほとんどできないようです。トンレサップ湖周辺の比較的水に恵まれている地方では米の2期作も可能ですが、内陸では一期作です。9〜10月に田植えをして12〜1月に収穫するそうです。

コンポンクダイ橋
ハノイまで続く道です

強固な石組みの技術は多くの遺跡に共通です

でこぼこ道を時速10kmくらいで走ります

乾燥した田畑です

親戚のお宅へ到着しました
高床式の住宅です

豚と鳥が庭に飼われているのどかな農村です

家の中から入口の写真、懐かしい原風景を見る思いでした

床には隙間を設けて風通しを良くしています

天井です

大きなワンルームの居間兼寝室

奥には台所

その傍らには食料が保管されていました

「洗濯たらい」で行水

家の中央の柱には時計が

その柱には蛍光灯が

蛍光灯の電源バッテリー

我々が持ってきた古着を近所の人々と分けあう

長旅の疲れを揉み解してくれる子供とお婆ちゃん

宮崎さんにも
モミモミサービス

ハンモックで寛ぐ伊藤さん
適応力抜群です

 ところで、国道6号線の途中、クロライで買った、竹の筒を利用して炊いた米の保存食「クチャ」を昼食時に食べたました。味と食感は日本の赤飯とよく似ていてとてもおいしい。ここ熱帯のカンボジアでも賞味期間、1週間は大丈夫という。内戦時に兵士が戦地に赴く時や庶民が避難する際に利用したとのことです。日本でも地域おこしで使えるのではないかと何人かのメンバーが言うほどの素敵な味と雰囲気をもった食品でした。
左:藁の蓋がかぶさった状態
中:次に藁をとり外します
右:筒を割ると中から赤飯状のご飯が出てきます。
日本に持って帰って電子レンジでチンして食べましたがとてもよい味でしたよ

親戚のお宅の前でボトル詰めのガソリンを販売していました。
0.75$/リットルで品質は?です。スタンドでは1$です。

どこで飼っている水牛でしょうか道路をゆったりと横断中です

向いのお宅です。
ソニカさんのご親戚のお家は、この付近ではとても立派な住宅のようでした。

皆さんのお見送りを受けてソニカさんの生家跡へ出発です

 次に向かったところは、ソニカ園長の生家です。でも、その生家は内戦の被害で今はありません。残されたものは入口の大きな門柱とフェンスに囲まれた広大な敷地、それに内戦の銃弾の跡が生々しい大きな樹木だけです。でも、愛育園では昨年からこの敷地の裏手に1.3ヘクタールの田を購入、米作を始めました。最初は、3.5トンのお米が収穫できました。今、愛育園では、お米を自給自足できる量(約5トン)の生産を目指しています。そのため土壌の改良にも取り組んでいます。

生家のあった敷地の門

入口から見た敷地全景

ポルポト軍の砲弾が樹を貫いた後です

樹木には無数の銃痕があります

内戦の模様を生々しく語る
ソニカさん

敷地裏に求めた田んぼ

収穫したあとの米藁
土壌改良に利用する
ここで面白い話を一つ。
カンボジアではお米の精米にはお金がかからないそうです。
どうしてそれが可能なのかと言うと、精米所は、精米時に出る米糠と籾殻を受け取りそれを売って資金にするのだそうです。
お国が変われば商習慣も違うものですね。

 ソニカ園長の故郷を離れた我々は、アンコールの遺跡中、最古の寺院「プリア・コー」を訪れ、その後、メンバーの瀬川さんの会社(北海建物管理梶jが寄贈した井戸を訪ねてシェムリアップへ帰りました。

プリア・コー入口

正面に見えるのが6基の
「ほこら」

その内の1基

9世紀末の文字で書かれた
考古学上重要なプレート

瀬川さんの井戸までは農道から車を捨て数百m徒歩で

井戸のベースには
寄贈者の名前が

勢いよくきれいな水がほとばしるように汲み上げられます

家族と記念撮影

内田さんが井戸掘りを始めて
530個目の井戸です

利用者から井戸完成の
サインを頂きます

井戸の説明などをする内田さん

近くには北欧パンの斉藤社長が寄贈した井戸もありました

帰る途中、井戸掘りを陳情するお年寄りに出会う

井戸は、UNを含めていろいろな団体から援助があります

でも、その多くは掘削が浅いため水が汚く飲料には無理です

これも井戸です
 
次の写真はシェムリアップへの帰り道で撮ったものです。建物の新築工事が到る所に見られ、またマーケット周辺は多くの人々で賑わい道路には車とオートバイが以前にもまして目立つようになりました。

シェムリアップ最後の夜は、アプサラダンスを鑑賞しながら夕食を楽しみました。

いつも食欲旺盛
宮本さん(左)と外山さん

4人の佐々木さん
左は夫婦、右は従兄同士

支援する会の重鎮
斉藤さん(中央)と菅さん

艶やかなアプサラダンス

今日も充実した一日でした


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