内田弘慈氏とカンボジアだるま愛育園を支援する北海道の会
3年ぶりです。
中年男のカンボジアだるま愛育園と井戸掘り支援ツアー
でも、今回は妖艶な淑女とヨン様のような若い美男子も加わった華やかな一行でした。
平成19年2月18日〜2月23日

<その1>
平成19年2月18日〜2月20日

 3年前の平成16年1月、「内田弘慈氏とカンボジアだるま愛育園を支援する北海道の会」の大幹部吉田さんの強い勧めと酒の勢いにも背中を押されカンボジアを訪問することとなった鴈原、中川、伊藤、北島の4人。訪問してみると普段の悪行への懺悔の気持ちも手伝ってか心洗われる気持ちになってしまい、また行こうと確認しあったのでした。あれから3年、その間、吉田さんたちの熱心な支援活動のおかげで子供たちとも毎年札幌で会える機会に恵まれたり、建設途中だった「だるま愛育園」も完成し自給自足のための農園の作業も始まりました。再訪問の頃は良し、機は熟したと昨年の暮れに再訪問を決定しました。今回は前回の一行5名から19名の大所帯となりました。加えて今回は、淑女と若い男性も加わり平均年齢がグッと下がりフレッシュな一行となりました。
上の写真は、2月19日シェムリアップ空港到着直後にお迎えのだるま愛育園の皆さんと撮ったものです。

カンボジアシェムリアップまで(2月18日〜19日)
日本からはシェムリアップまでの直行便がないので今回は、千歳空港発大韓航空766便韓国ソウル経由で訪問することとなりました。関西空港の2倍以上の面積で7本の滑走路を持つソウル、インチョン国際空港では、着陸寸前に着陸やり直しで急上昇という全員肝を冷やすハプニングがありました。空港の近くではゴルフ場が営業中だったり、例年は氷で覆われる漢江(ハンガン、ソウルを東西に流れる川)にも、氷が見られない。地球規模で進行する温暖化のせいでしょうか。その暖かいソウル市内に、午後5時半ころ全員元気に到着。早速、韓国名物骨付きカルビと冷麺、それに韓国のお酒で夕食を楽しみました。ソウル市内は、旧歴元旦の休暇で地元の皆さんは、それぞれが田舎や自宅で静かに正月を迎えていたようです。韓国の首都ソウルの街はどこも閑散としていました。


インチョン国際空港

空港建物内部

日本統治時代の建物

同左
ソウル一の繁華街
明洞商店街

左から吉田、瀬川、
伊藤、中川、外山さん

大統領官邸青瓦台を右に僅かに見る、撮影はここまで

ソウルに一泊して翌19日、市内観光の後、再び大韓航空に乗って目的地カンボジアシェムリアップ空港を目指しました。飛行時間約6時間、現地時間21時40分無事到着。入国手続きに時間がかかって少々イライラした気持ちもだるま愛育園の子供たちに迎えられすっかり和みました。

到着直後の宮本さん

とても立派になった空港ビルと外山さん

入国手続き前の左から
宮崎、伊藤、斉藤さん

手作りのレイを手に迎えに来てくれたリンダ、マカラ達

マカラちゃんからレイを受け歓迎される野沢さん。マカラの堂々とした挨拶と比較して野沢さんが慌てて手を合わせています。どちらが大人かわかりません。

ホテルの部屋の入口の飾り

同左。部屋ごとに違う。

ホテルの部屋の家具。
南洋樹の家具は立派です。

滞在中、鏡の左肩に空港で
受けたレイを飾りました。

部屋の中のランプ。

タオル類の洗濯のために消費する洗剤と水の抑制を呼びかけるカード。今回の旅行報告では環境問題をサブテーマにします。

2月20日
 2月は、乾季。気温は夏(雨季)の40〜45℃と比較して過ごしやすい30〜35℃。さすがに冬の札幌からくると暑いが早朝は気持ちが良い。昨夜、遅くホテルに入った一行は元気いっぱい。9時行動開始の予定時間までには既に市内散策を終えた人が何人もいた。意欲満々の一行であった。

ホテルは前回と同じ
「リバーシティーホテル」

ホテル前の道路
通勤の車で賑わう

出発前のひと時
ホテル前で

ホテル前の河原で
写真を撮る宮本さん

遺跡見学前にオールドマーケットでサンダルなど購入

日本ではほとんど見られなくなった雑然としたマーケット

朝の9時ころ
早朝収穫の野菜がいっぱい

ソフトドリンク
軽食もあります

アンコールトムへ出発です。

アンコールトムの中央に位置するバイヨン寺院へ向かう

門の前に並ぶ神の像を背に
南大門を撮る斉藤さん

異様な雰囲気を漂わせる
バイヨン寺院

バイヨンの回廊の壁は12世紀の生活が描かれている

敵軍と交戦のため赴く
行軍の様子

暑さと見るもの満載で
少々疲れ気味の伊藤さん

有名な微笑みをたたえた
観世音菩薩像

地元の画家が描いた
絵を売っている

木の葉で作られた
絵を納める容器が大人気

画家の足を撮りました。しっかりと大地を掴む形に感心

仏像の前で吉田さんが
突然大きな声でお経をあげた

時間が経つにつれ
観光客が増えてきた

土産物店もそろそろ
本番の時間を迎える

焼き鳥のようなものも
準備に入りました

3年前にはなかった
電動カートがお目見え

神秘的な雰囲気の
タ・プローム寺院へ

熱帯の樹木ガジュマルが
建物を巻き込み破壊してゆく

樹木の根が蛇のように
絡まる様子は神秘的だ

熱帯で管理を怠ると
この様になってしまう

王様の沐浴のための池と
言われる「スラ・スラン」

池を望むテラス

長辺が1km近くありそうな
12世紀末に作られた池

雨季には階段の上辺りまで
水を湛えるのだろうか

午後には
アンコールワットを見学

バイヨンと同じく
回廊には彫刻が

通訳のトムさんの説明に
聞き入る馬川さん、斉藤さん

建築物として見ても
見事な回廊

中央の塔を目指して登る人
下りる人

下りるほうが大変
佐藤さん

年はとっても昔は腕白坊主
中川さんは、今も身軽に

所どころにある仏像(右)
仏前では自然に手を合わせて何を願うのか

 3年前と比較して変わったと思ったことは、観光客が増えたこと。とりわけ韓国・中国語が激しく飛び交います。中国からの観光客増加と資本の進出で、中国語のできる人は仕事を得やすいとのことでした。写真にはありませんが、シェムリアップ市内のホテルの新築ラッシュも凄い。未舗装だった道路が舗装され車のスピードも上がったようです。遺跡見学のためにバッテリー駆動のカートも現れました。投資により経済が発展し国民所得が増え生活レベルが向上するならばハッピーなことですが・・・。とかく急激な経済の発展には歪みを伴うことが避けがたいものです。車窓から覘く庶民レベルの生活は、以前とさほどの違いがないように窺えました。ご多分にもれずここでも格差の拡大が進行しているのではないでしょうか。
一方で経済発展に伴う環境面の悪化も気になります。観光施設入口付近の車の増加が激しいように感じました。このまま車が増えるに任せる事は無いでしょうが、駐車場の確保による遺跡周辺の景観破壊、市内の排ガス問題、ごみ処理の問題等々どがとても気になるのです。

アキラの博物館とキリングフィールド

アキラの博物館入口

火薬を抜いて安全な地雷を
紙抑えに利用している

アキラが処理した沢山の地雷や不発弾が展示されている

熱心に見入る観光客

狂気のポルポト政権に殺害された人の骨

4年間に10万人が殺害されたことを伝える壁の前で

内田さん活動発祥の地
だるまスクール


メンテナンスの行き届いていない井戸はポンプも盗まれてしまう。




遺跡巡りの後、完成した「だるま愛育園」を訪問しました。
園は、我々の想像を超える出来栄えでした。広い敷地に米蔵や屋根の付いた舞台があって子供達がカンボジアの民族芸術「アプサラダンス」の練習中でした。3年前に初めて訪問した時も狭い部屋の中でアプサラダンスの楽器の練習中だったことを思い出しました。何と立派で伸び伸び練習できる環境が整ったことだろうと驚きました。
だるま愛育園の建物本体は、もっと立派でした。3年前の劣悪な環境(われわれから見ると)から一変していました。
その様子をご紹介します。


右写真は、だるま愛育園の入口の看板


左は完成した「だるま愛育園」。
上は、3年前、建築中の建物。
当時、3階部分はまだ柱を立てている段階でした。

左は男子の寝室。
上は、3年前の寝室。
僅か10畳くらいの部屋に10数人が寝ていました。

左は新しい愛育園の庭。
上は、3年前の愛育園の前の道路。石ころだらけの道路が遊び場所でした。

左は1階の講堂兼応接間のような部屋。上は、3年前の状況。ここでアプサラダンスなどの練習をしていました。

正門から見た敷地

奥に見えるのは、ダンスの
練習などができる舞台

左写真を愛育園の3階から
撮ったもの

舞台ではダンスの練習中

米の自給自足体制の要
米蔵

米は長粒米

アヒルも飼っています

次の井戸のためのポンプです
この夜、だるま愛育園の子供達を食事に招待しました。
場所は3年前と同じレストラン。土埃の舞う赤土の土間が奇麗なタイル敷き変わっていました。

レストラン前で

左から嬉しそうな4人の佐々木さん、右端が外山さん

同じく左から佐藤さん、
斉藤さん、宮崎さん

内田さんを囲んで中川さん(左)、北島(右)

子供達は園のトラックで
帰ります

子供を確認する
黒川さん(右端)

幸せ一杯、興奮冷めやらぬ左から瀬川さん、佐々木さん、野沢さん、黒川さん

帰りのバスの中も
皆ハッピーです

とても充実した一日でした


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